小心者は何者かになりたい

ツイッターを新しく作り直して、ブログもちゃんと動かそうと思った。

いつも名前などもちゃんと考えずに登録するが、今回はちゃんと自分に名前をつけた。

私の名前をローマ字で表記した際、一番多く使われている文字はMなのですが、きっとこれから結婚などの転機が訪れると、Mを一つ失う可能性がある。いつか失われてしまうかもしれないM一個に思いをはせて、えみこ("M"="emm" ikko)と名乗らせていただきます。我ながら良い塩梅にダサい。でも自分に名前をつけるというのは何だか不思議な感覚だ。愛着が湧くと良いな。

 

急にこんなに色々と動こうと思ったのにはいくつか理由がある。

まず第一に、このブログの最初の記事でも書いたが、ちゃんと文章に感想や思ったことを書き起こすようにしたいと思ったこと。

だいたいいつも、何かを見聞きするとすごく良いなとは思うのだけど、「最高」「良い」などの極めて簡単な感想で終わらせてしまうことが多い。そんな体たらくなので、「最高」の中でも「本当に最高」と思ったものをすぐに思い出せなかったり、何が当時の自分の琴線にそんなにも触れたのかを忘れてしまうことが多い。せっかく今は自由な時間があって、好きなものを楽しむ時間や、それをちゃんと言葉にする時間もあるのに勿体無いなと思ったので、文章に書きとめていきたいと思った。

 

第二に、周りに同志がいないこと。こんなことを書くとこれからとても悲しい話が待っているのではないかと身構えさせてしまうかもしれないが、友達はちゃんといます。でも、転勤族の営業職なので、いつどこに配属になるかもわからず、今も地元からは離れていて、周りにいる人たちもいつどんなタイミングでどこかへ行ってしまうとも限らない。加えて、私の周りの人の多くは、なんとなく私が音楽やお笑いや本などが好きなことは知っているけど、具体的な好きなアーティストや芸人の話をすると、みんな一斉にガラス玉のような目に変わってしまう。熱く語れば語るほど、相手との心に距離が生まれ結果的に「なんだか楽しそうで良いね」などの「私が語った内容」よりも「私が好きなものに対して何か熱い想いを持っていること」に対する感想をもらうことが多い。ネット上には、同じように感動を分かち合えそうな人がたくさんいるのに、現実世界の私はいつも孤独に物事を楽しんでは一人でホクホクと笑顔になっている。それでも十二分に幸せな状態ではあるのですが、最近はなんだか妙に物寂しくなってきた。誰かと感想を言い合えたりしたら・・・、というのは非常に高望みなので、まずは自分の感想を発信することで誰かに届けば良いな、それで相手も「わかる」なんて少し微笑んでくれたりしたら。もうその想像だけで嬉しい。どこかの誰かに届けば良いな。

 

第三に、私自身、本当は自分の意見を述べるのが非常に苦手なこと。根っからの事なかれ主義なので、人の意見に同調してしまったり、自分の意見なんて言ったところで…と思って口に出さないことが多い。なので、おそらく自ら積極的に人を辿っていけば巡り会えているはずの同志にも巡り会えず、そんな自分を嘆いている。小心者で自ら行動しない自分に非があるということは重々承知です。ただただ黙ってにこにことしているだけでは、素敵な出会いも巡ってこないのです。もうどうあがいても「大人」としか分類されない年齢になってきたので、いつまでもこのような人付き合いが続いてしまっては、素敵な出会いを逃してしまうだけではなく、いつか自分の意見や感想を持たなくなってしまう可能性すら感じてきて、少し怖くなってきた。私は人間だ。人間とは、思考する生き物だ。自分の意見を述べることで、社会性を高める生き物だ。このままではいつか考えることを放棄してしまいそうだ。

自分の意見をちゃんと発信できる形にまとめて、発信していく。その練習の場としてここを使っていきたい。だから、かなり拙い感想や意見が多く飛び出してくると思います。言葉選びに失敗して不快な思いをさせてしまったり、逆に長い文章を書いているわりに何の芯も食わないぼんやりとした話に終始してしまったりすることが予想されます。

私は自ら発信し、社会に飛び込む術を履修している身です。まだリハビリ中です。暖かい目で見守ってください。

 

まだまだ小心者で、今は自分がどういう人間なのか、自分自身でもあまりわかっていないような私です。

でも、ブログを書くことで、自分自身のことを自分でもわかっていきたい。

そんな思いで「小心者は何者かになりたい」と銘打ちました。

ツイッターと合わせて、とりとめのないことを書いていくと思います。

よろしくお願いします。